精華町の歴史

History

精華の歴史

明治25年に現在の菅井近鉄踏切の東南付近に当時の狛田、祝園、稲田、山田壮、相楽の5ケ村立精華高等小学校があった。明治政府は教育の基本となる教育勅語を発布したが、その中に「これ国体の精華なり」という文章があり当時の人々はこの文字を校名とした。第二次大戦後、川西、山田壮、相楽、三村立の新制中学校が創設され、校名を精華中学校と名付けた。昭和26年に川西と山田壮の両村が合併し、精華中学校の校名を村名として精華村が誕生した。このように人づくりを目的とした学校の名を村名とした例は他にない。

1951

昭和26年

・4月1日 : 川西村・山田荘村の二村が廃村、
 合併して精華村が誕生。

・村長に高田熊三郎氏が就任。

人口 9,493人

1953

昭和28年

・村長に高田熊三郎氏が再選。

国民健康保険直営診療所を設置。

・8月15日 : 南山城地方に大水害が起こる。

・9月25日 :台風13号により大水害を受ける。

1954

昭和29年

川西小学校 のプール完成。

町営住宅 (植田地区)を15戸建設。

1955

昭和30年

・4月1日 : 町制施行・国調人口19,452人 。

・町長に高田熊三郎氏が就任。

川西小学校に相楽郡内最初の鉄筋二階建て校舎ができる。

町営住宅(山田地区)を20戸建設。

・国民健康保険直営診療所が精華町国民健康保険病院に昇格。

1956

昭和31年

東畑へき地集会室ができる。

町営住宅(丸山地区)を10戸建設。

「週刊新潮」が創刊。以後、週刊誌ブームとなる。

1957

昭和32年

・町長に高田熊三郎氏が再選。

町営住宅(片山地区)を20戸建設。

「嵐を呼ぶ男」上映。石原裕次郎の人気上昇。

1958

昭和33年

山田壮小学校鉄筋二階建て校舎ができる。

「フラフープ」が流行。あっという間に世界中を駆け回る。

1959

昭和34年

・祝園弾薬庫の進駐軍撤退を契機に土地返還運動を展開したが、
 自衛隊所属となる。

「少年マガジン」「少年サンデー」が創刊。

1960

昭和35年

・国調人口 9,373人 。

川西地区上水道の敷設工事着工。

「ハイライト」が70円でデビュー。
 発売5年後から10年間、売上高1位をキープ。

1961

昭和36年

・町長に杉浦孝行氏が就任。

役場新庁舎が完成。

・9月16日 : 第二室戸台風により、みぞうの大被害を受ける 。

・トヨタが「パプリカ」を発売。389,000円。

1962

昭和37年

山田荘小学校のプール完成。

町営住宅 (塚本地区)を20戸建設。

「ツイスト」旋風。世界を駆けめぐる。

1963

昭和38年

山田荘小学校特別教室 (鉄筋)ができる。

精華中学校のプール新設工事完成。

「鉄腕アトム」がテレビに登場。

1964

昭和39年

「東京オリンピック」開催。

テレビが日本中を一大スタジアムと化す。

・夢の超特急「ひかり」「こだま」がデビュー。

1965

昭和40年

・町長に杉浦孝行氏が再選。

・国調人口 9,618人

・上水道の第一期拡張工事完成。

プロ野球ドラフト制スタート。

1966

昭和41年

川西農協山田荘農協が合併、精華町農業協同組合となる。

「ビートルズ」が来日。熱狂的ファンが失神。

1967

昭和42年

・上水道の第二期拡張工事完成。

ミニスカートが世界中で大ブーム。

1968

昭和43年

「子供を守る町」を宣言。

東区児童遊園が完成。

・白バイ警官を装った男が現金三億円を強奪。

1969

昭和44年

・町長に井上藤治氏が就任。

消防小型動力ポンプ整備三カ年計画 (10台)に着手。

「アポロ11号」が月面に着陸。人類初、月に立つ。

・渥美清の演次郎シリーズ「男はつらいよ」の第一作が上映。

1970

昭和45年

・国調人口 10,929 人

・上水道の 第三期拡張工事 完成。

・高度成長のあかし「大阪万国博覧会」開幕。

1971

昭和46年

・町章・町の花に バラ、町の木にカシを制定。

農免道路 が完成。

ほうその保育所が完成。

女性誌「nonno」が創刊。

1972

昭和47年

町立体育館が完成。

開橋 開通。

・上水道の第四期拡張工事着工。

府営水道受水場の建設工事着工。

町営住宅(出森団地)建設。

北稲八間・南稲八妻集会所ができる。

「札幌冬季オリンピック」開催。70m級ジャンプでメダルを独占。

・沖縄が27年ぶりに日本に還る。

1973

昭和48年

・町長に井上藤治氏が再選。

隣保館 を設置。

中・西北・北ノ堂集会所ができる。

町立精華文庫を設置。

商工会館を建設。

農免道路の舗装工事完成。

オイルショック、世界をめぐる。

1974

昭和49年

下狛会館が完成。

消防本部・署 を設置。

小野少尉がルパング島から30年ぶりに復員。

1975

昭和50年

・国調人口 13,894人

こまだ保育所 が完成。

・町立精華文庫に移動図響館「あおぞら号」を設遣。

山田集会所 ができる。

共同浴場 ができる。

ウインブルドンテニス女子ダブルス で沢松和子組が優勝。

1976

昭和51年

消防本部・署庁舎が完成。

ほうその第二保育所 が完成。

柘榴集会所 ができる。

老人憩いの家 ができる。

池川 の改修工事着工。

日本住宅公団平城ニュータウン(相楽地区) 開発
 にかかる基本協定を取り交わす。

・米上院で「ロッキード事件」が発覚。

1977

昭和52年

・町長に井上藤治氏が三選。

総合計画(基本構想) 策定。

児童館 完成。

堀池川 の改修工事 (災害分) 完成。

山下泰裕 が19歳で史上最年少の柔道日本一に。

1978

昭和53年

精北小学校が開校。

水道事務所 が移転。

・九百石川の都市下水路工事第一期 完成。

平城ニュータウン (相楽地区) 開発事業の認可が下りる。

交通指導員 を設置。

町立図書館 に昇格・移転。

旭集会所 ができる。

ピンクレディ が「UFO」でレコード大賞を受賞。

1979

昭和54年

・町営住宅100戸が完成(出森団地・佃団地)

精華中学校屋內運動場改築工事 完成。

乾谷集会所ができる。

まちづくりと開発に関する研究会(学研都市)発足。

「ウォークマン」 が大ヒット商品に。

1980

昭和55年

打越台環境センターが完成。

春日橋 の新設工事完成。

谷集会所ができる。

旭区簡易水道が完成。

・国調人口 15,334人

「地域からみた学研都市のあり方」(その1) を発表。

・アメリカ・日本など不参加のまま 「モスクワオリンピック」開幕。

1981

昭和56年

・町長に井上藤治氏が四選。

木津川河川敷運動公園が完成。

北稲婦人防火クラブ発足。

菱田集会所・北稲区民いこいの家・馬渕集会所ができる。

精華中学校 の校舎増築工事完成。

・神戸港の人工島で「ポートピア81」開幕。

1982

昭和57年

精華町国民健康保険病院を改築。

保健センターの新築工事完成。

田辺・精華・木津・三学研都市建設構想行政連絡会を発足。

精華町文化・学術・研究都市建設構想懇談会を発足。

柘榴婦人防火クラブ発足。

東畑婦人防火クラブ発足。

滝ノ鼻集会所ができる。

「地域からみた学研都市のあり方(その2)を発表。

岡本綾子が全米ツアーで初勝利。

1983

昭和58年

川西観光苺園がオープン。

川西小学校屋内運動場の増改築工事完成。

九百石川都市下水路の当初認可分完了。

植田集会所ができる。

植田婦人防火クラブ発足。

・NHKが連続ドラマ「おしん」放送 忍耐と辛抱の朝のお茶の間シーン。

1984

昭和59年

学研基本計画案京都府域を発表。

春日の森緑地公園が完成。

府立花き総合指導センターの誘致決定。

川西小学校のプール新設工事完成。

・怪人21面相が「毒入りグリコ製品」で無差別脅迫。

1985

昭和60年

・町長に井上藤治氏が五選。

学研都市起工式・記念式が行われる。

町立図書館が新築開館。

学研対応策に係る調査研究会が発足。

テレトピアモデル都市に指定される。

精華町幼年消防クラブ発足。

・国調人口 16,095人

・日航ジャンボ機が群馬県御巣鷹山に激突。
 死亡者520人、女性4人が奇跡の生存。

1986

昭和61年

京都フラワーセンターがオープン。

相楽ニュータウンまちびらき。

山田荘小学校の移転新築工算完成。

九百石川都市下水路の当初認可および第一期工事完成。

チェルノブイリ原子力発電所が爆発。

1987

昭和62年

打越台グラウンドがオープン。

国際電気通信基礎技術研究所(ATR)の起工式が行われる。

インテリジェント・シティモデル都市に指定される。

学研都市区域が監視区域に指定される。

菅井都市下水路事業の祝園樋門工事着工。

エイズ汚染問題が深刻に。

1988

昭和63年

京都国体を開催(種目:ソフトボール成年女子)。

精華南中学校が開校。

学研都市・精華町桜が丘地区まちびらき

学研都市建設計画(京都府域)が公表される。

舟・中久保田集会所ができる。

桜が丘に2,200トンの配水池ができ給水開始。

「リクルート事件」で政界が揺らぐ。

1989

平成元年

・町長に大崎鉄平氏が就任。

学研中核施設・国際電気通信基礎技術研究所(ATR)が開所。

消費税問題に揺れ、参院選挙保革逆転。

1990

平成2年

開かれた行政をめざし、行政110番係を設置。

・ふるさと創生事業の一環として大型バス「ふれあい号」を弊入
 「広報せいか」が二色刷となる。

・ 国調人口 17,519人

ベルリンの壁が取り壊される。

「国際花と緑の博覧会」開催。

「リクルート事件」で政界が揺らぐ。

1991

平成3年

・精華町の南の玄関口、山田川駅前交通広場が誕生。

・新旧交流の架け橋「やすらぎ橋」が完成。

・民間研究機関の第一号「(株)島津製作所けいはんな研究所」がオープン。

せいか交流ホームステイの初実施。

京奈和自動車道(田辺西 〜 精華下狛IC)が開通。

バブル経済が崩壊。

1992

平成4年

学研都市精華町光台地区まちびらき

コミュニティーホールの使用開始。

21創精塾を設置。

町内小学校で地元産米を使った米飯給食を開始。

「住友金属工業(株) ハイクオリティライフ研究所」がオープン。

佐川急便の政治献金で政界が揺らぐ。

1993

平成5年

・町長に大崎鉄平氏が再選。

・町の玄関口「祝園駅前広場」の完成、駅前花壇の設置。

地域福祉センター「かしのき苑」がオープン。

東光小学校が開校。

文化学術研究交流施設「けいはんなプラザ」がオープン。

京阪・三井・野村けいはんな調華台の起工式が行われる。

京奈和自動車道(楕藩 下泊 〜 UHNIC)が開通。

相楽作業所が新築完成。

僧坊・東・桜が丘三丁目・光台七丁目集会所ができる。

・連立政権誕生、総理大臣に細川護熙氏が就任。

1994

平成6年

第11回全国都市緑化きょうとフェア開催。

けいはんな学研都市フェスティバル'94開催。

JR祝園駅・近鉄新祝園駅の橋上駅舎が完成。

・祝園駅前の東西連絡通路が完成。

シンボルエフェメント 「華時計(ブラッピー)」が完成。

けいはんな記念公園がオープン。

松下電器産業(株)中央研究所」がオープン。

1995

平成7年

・国調人口 22,691人

国立国会図書館関西館(仮称)の誘致決定。

京セラ(株)中央研究所がオープン。

阪神・淡路大震災が起こる。

1996

平成8年

地域資源総合管理センター「華工房」がオープン。

学研都市セカンドステージプランへ

けいはんなハーフマラソン開催。

アメリカ合衆国オクラホマ州ノーマン市長が来町。

・町で初めて大規模総合防災訓練を行う。

ケアハウス神の園が完成。

桜が丘四丁目・光台四丁目集会所ができる。

病原性大腸菌「0-157」が全国で猛威をふるう。

1997

平成9年

・町長に大崎鉄平氏が再選。

全国高等学校総合体育大会・京都総体を開催 (種目:男子ソフトボール)。

JR東西線の開通で大阪都心へ一直線に。

近畿府県合同防災訓練が行われる。

・ユニークな配水タンク「華の塔」が完成。

財団法人「精華町都市緑化協会」を設立。

精華西中学校が開校。

京都府農業資源研究センター / 京都府立大学農学部附属機場がオープン。

西北・光台六丁目集会所ができる。

・京都で「地域温暖化防止会議」を開催。

1998

平成10年

近鉄新祝園駅への急行停車化が決定。

国立国会図書館関西館(仮称)の着工。

・全国広報コンクールで「広報 せいか」が特選、日本一に輝く。

1999

平成11年

新しいまち「祝園西」と「精華台」が誕生。

広域図書館ネットワーク事業を開始。

町の広報誌「華創」が誕生。

「せいか地球っこブラン」を策定。

精華町の新庁舎・新図書館の起工式が行われる。

・大崎鉄平氏の死去に伴い、町長に鍬田利秋氏が就任。

木津川上流浄化センターの通水記念式が行われる。

「京都情報通信研究開発支援センター (京都ギガビット・ラボ)
 の開所式が行われる。

地域振興券の交付開始。

2000

平成12年

・国調人口 26 359人

精華台地区の入居開始。

・住民と行政が直接対話する「住民懇談会」を実施。

せいかグローバル社会を推進するネットワーク会議が設立。

・町の悲願であった近鉄新祝園駅の急行停車が実現。

・町の広報誌「華創」がA4からA3サイズに変更。

全国広報コンクールで町の広報誌「華創」が2席に入選。

西暦2000年問題が起こる。

介護保険制度がスタート。

2001

平成13年

役場庁舎・図書館完成。

むくのきもセンター(体育館・コミュニティーセンター) 完成。

精華台小学校が開校。

・11月1日 : 人口男 14776人、女15478人、 計 30,254人 。
 30,000人
の大台に乗る。

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